■『Michael/マイケル』を観て感じられたこと
♦先日、マイケル・ジャクソンの伝記映画『Michael/マイケル』を観ました。きょうだいの中でも歌やダンスの才能が群を抜いていた彼が、スターダムへと駆け上がる華やかな姿が描かれる一方、幼少期には父親からの体罰があり、それが成長後の確執へとつながっていく様子も映し出されていました。
♦もし映画の制作者が「父親の虐待ではなく家族への愛を描きたかった」のだとしたら、観客はその意図を理解できたでしょうか。
♦どんなに子どもを愛していても、その気持ちが子どもに伝わらないことほど悲しいコミュニケーションはありません。
♦幼い子どもは、親の圧倒的な力のもとに口を閉ざし従わざるを得なくなります。それが自分のためだとか親の愛情だと、どうして理解ができるでしょう。
♦「親だから子どもを愛しているのは当然」というのは、親の一方的で都合の良い言い分に聞こえる場合があります。また「大人になり親になればわかる」という方もいるかもしれませんが、子どもの頃から抱えてきた傷が、大人になり親になったからといって簡単に癒えるものではありません。むしろ自分の子どもに同じことを繰り返してしまう可能性もあります。
♦叱ったり怒ったり、ましてや体罰を加えてしまった場合には、その都度子どもとしっかり向き合い、子どもが理解できるまで理由をきちんと伝え、謝罪もしながら、心に傷を残さないよう努めてほしいと思います。
♦「親が言ったことだから、子どもは傷つかない」と思うのは間違いです。むしろ、親だから傷つくのです。そしてその傷は深く残り、いつまでも消えることはありません。
♦虐待により子どもが受ける心の傷は、精神面だけの問題にとどまりません。身体や脳の発達にも影響を及ぼします。性格や行動傾向、学習面の問題に加えて、発達性トラウマ障害や複雑性PTSD、さらにうつ病や双極性障害、パーソナリティ障害等につながる恐れがあります。
♦何より、生涯にわたって「生きづらさ」を抱えてしまうことになるのです。
♦子どもは暴力的な親に対して「話しても伝わらない、理解してもらえない」とあきらめるようになります。そしてそれが一生を通じて、その子のコミュニケーションの土台となってしまいます。
♦親子関係に根ざした思いがあると、大人になっても会話や人付き合いに消極的になりがちです。いつまでもコミュニケーションが取りにくく、関係を深めることも苦手で難しいままになってしまいます。
♦マイケル・ジャクソンは大成功を収めた伝説的なスーパースターでしたが、その裏では誰にも打ち明けられず理解されない深い孤独と闇を抱えていたと言えるでしょう。
♦暴力的な父親への行き場のない怒りや、決して癒えることのない悲しみが心の中で渦巻いていたことでしょう。
♦それと同時に、父親を愛し、父親からも愛されたいという強い願いもあったのではないかと思います。
♦そうした感情の渦が行き場を求め、彼独自の音楽やパフォーマンスとして形になり、世界中の人々に受け入れられ感動を与えたのだとしたら、彼にとって「伝えることができた、わかってもらえた」と感じられる瞬間があったのかもしれません。
♦だからといって、彼の深い心の傷が癒えたとか、孤独や闇がなくなったかいうと、そうは思えないのです。
♦コミュニケーションは、ただ上手に言葉を伝えることではなく、「自分の思いを相手が理解できるように心を込めて伝えること」だと思います。
♦まず、「親が伝えたいことを子どもにわかるように伝える」ことこそが、コミュニケーションの原点ではないかと改めて感じます。そうした親の態度やコミュニケーションをやがて子どもが自然と真似るようになっていきます。それがポジティブな世代間の連鎖としてつながっていくのだと思います。
コミュニケーションに関して、思いや悩み、やりづらさ等がありましたら、お話をしに来ていただけたらと思います。
お待ちしております。
