「カウンセラーはどっちの味方ですか?」そういう質問を受けたことがあります。
「…カウンセラーはどちらの味方でもありません。いつも中立をこころがけています。一方でクライエントであるあなたのお話やお気持ちはだれよりも理解したいと思っています。それが最も大事で優先されることです…」といったことをお答えしました。それ以上のことはおたずねにならなかったので、理解していただけたのではないかと思っています。
カウンセラーは常に自分の味方だと誤解されている方がいらっしゃるかもしれません。中にはそういうカウンセラーもおられるでしょう。カウンセラーが終始一貫、クライエントの味方であることに努められれば「カウンセラーは優しい人、私を大事にしてくれる、私の味方」という風に感じられ、満足していただけるのかもしれません。
心の健康度が高い方の一度きりのカウンセリング(相談)であれば、それも良いのかもしれません。後になって「カウンセラーは私の味方をしてくれていたが、やっぱり私が良くなかったのかもしれない…」といった逆の気づきが得られ、悪いと思い込んでいた相手に対する反省や感謝の気持ちが沸いてくることがあります。そうなれば、捉え方や関係性の変化につながった良いカウンセリングであったと言うことができるでしょう。
ところが、長年問題や症状を抱えて来られた方にとっては、そうした満足も一時的なものに過ぎず、それを続けていてもあまり意味がないどころか、逆に精神が不安定になって、もっともっと私の味方をしてほしい、面倒をみて欲しいといった気持ちが強くなり、逆に問題や症状を悪化させてしまうかもしれません。幼児期への退行(愛着の不全感があった幼児期への逆戻り)が激しくなり、より不安定になってしまう場合もあります。つまりカウンセラーの安易な共感や同調は、治療的とは言えない態度と捉えられます。
たとえば、「0か100か」と極端に考えがちなクライエントがいたとして、そうした傾向をカウンセラーがそれでいいと肯定し続けたなら、相変わらずその心の癖は続くどころか、より強くなっていく可能性があります。カウンセラーを父親や母親と同一視し、未熟な甘えや依存、あるいは攻撃性が強まってしまう可能性もあります。
カウンセラーが常にクライエントの味方をするという態度は、「クライエントはどうしたいか、どうなりたいかについて自分の中に答えを持っている」「自分で気づく力、自分を良くしていこうとする力がもともと備わっている」というカウンセリングにおける基本的な人間理解に基づけているとは言えず、クライエントの自力や可能性をないがしろにしてしまうことになりかねません。
未熟なカウンセラーであれば、何らかの理由でクライエントを恐れ、おもねている場合もあるのではないかと思います。
カウンセラーの中立性は、クライエントの人格や人間性を尊重し、クライエントの一時的な感情に揺さぶられず、また偽らない心の専門家としての一貫性や真実性を示すものです。クライエントにそのことを感じ体験していただくことが、「良くなりたい、変わりたい」といったクライエントの動機づけと自主性を強く後押しすることになります。
行き過ぎた考え方や感じ方の偏り、思い込みやこだわりの強さは、カウンセリングを経るごとに緩和され、適度なもの=中立、中道へと変化していくことでしょう。やがてご自分で感情のコントロールができる、関係性を修復する、これまでとは違う言動をとる、といった意識的また無意識的な変化につながっていきます。
カウンセラーはクライエントにとって、沖合に浮かぶブイ(標識)のように、また港の灯台のようにいつも変わらず当たり前にそこにあって、クライエントの安心や安全、安堵や信頼のよりどころとなり、また目標や方向を照らしつづける存在ではないかと思います。またカウンセリングは、クライエントにとって「安全基地」のような機能を果たしていると考えます。カウンセリングの中で問題や悩み、症状が解消され、心のエネルギーが満たされれば、やがて「安全基地」を出ていくことになりますが、そのころには、自分で自分を引き受け進んでいく覚悟と自信が備わっているにちがいありません。そうなれば、もうカウンセラーは必要ありません、いつの間にか忘れ去られてしまうでしょう。カウンセリングは、人生という長い旅路の単なる通過点に過ぎないからです。
「安全基地」とは、本来幼い子供にとっての母親の存在を指します。カウンセリングに来られる方の多くは、その「安全基地」が十分に機能していたとは言い難い家庭環境にあったと捉えることができます。
カウンセラーは、確かな理論と経験に裏うちされた心の専門家であり、クライエントを支え、心の安定と成長、成熟、さらには自己実現に寄与できるよう、中立性、一貫性、真実性を大事にしています。
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