「強迫的になる」というのは、どなたでもある時期に生じる可能性があると思います。例えばよくあることとして、「カギを閉めたか?と何度も確認する」「汚染されたのではないか?と気が済むまで手を洗う」「傷つけたのではないか?と人に聞いて確認する」といった強迫観念にとらわれてしまうことです。
そういった行為には、ご自分のこころの中にあって外へ出て来てはまずいもの、あるいは自分のこころの中に入って来てはまずいものを、どうにか抑え込み、あるいはシャットアウトすることにより、不安をなくそうとする無意識的な意味合いがあります。
「外へ出てはまずいもの」として、怒りや攻撃性、性欲や衝動性など、自分でも認めたくないし他者に向かってしまったら嫌われ見捨てられてしまいそうな隠しておきたい本性が考えられます。「入って来てはまずいもの」として、自分の中の罪悪感や罪責感、あるいは不快感が刺激されることにより不安をかき立てるもの、例えば汚染、感染、傷害を負わす、犯罪を犯すといったことが考えられ、やはり他者に嫌われ見捨てられる不安につながっていると考えられます。
また、ご自分の不安定さを支配しコントロールする、また不完全で足りない何かを補うことにより、不安定な自分を安定させよう、攻撃されないよう完璧にしようとする無意識的試みである可能性もあります。
強迫的になるのは、思春期(親元を離れる大学生も含め)が多いのではないかと思われます。思春期はからだが劇的に変化して成長する時期であり、一方で親離れが進む、周囲と自分を比べがち、理想の自分と現実の自分のギャップに絶望する、といったことで敏感に反応し、こころが不安定になりやすい時期でもあります。親が支配的な場合は特に、親離れを機に不安が高まりますので、親の支配に成り代わり自分を強くコントロールすることで不安を解消する無意識的な目的で強迫的になる場合もあります。
また思春期に限らず、一人暮らしを始める、結婚するため家を出る、といったご自分をとりまく環境が大きく変わる際に、強迫的になる場合があります。小学生であっても、いじめや仲間はずれなどの心理的負荷をきっかけとして、強迫的な症状を帯びる場合もあります。
一方で、思春期はパーソナリティが固定しつつある時期でもあり、強迫性が境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害などの症状の一部として捉えられる場合があります。
気にしやすい、神経質といった本人の性格もありますが、親が過干渉で支配的である場合や親子(特に母子)関係で自己愛が大きく傷ついている場合など、自分は「不完全で不安定で不純だし攻撃的で衝動的だから、だれにも愛されないし見捨てられるかもしれない…」といった無意識が強くなってしまえば、自分を守る防御反応として強迫的になる可能性があります。
それが過剰になると、強迫観念にとらわれてしまい、自分を人前にさらすことが不安で恐ろしくて外に出られなくなる状況に陥ってしまいます。脆弱な自分を守るため、外向きに体裁のいい安定した自分を装い、人前や社会でうまくやっていくための孤独で涙ぐましい努力であり、スキルでだったはずが、とらわれすぎて病的に変わってしまうことになるわけです。
多少は強迫的であっても、対人関係が築けていたり社会生活がおくれていたりするのであれば、それはそれでよいとご自分で受け入れていかれることも大切ではないかと思います。
ご自分の強迫性が病的であると思われる場合は、精神科の受診をおすすめいたします。
受診するほどではないが、ご自分の強迫性が気になるという方については、カウンセリングに来ていただき、お話し合いの中でご自分の症状の背景について理解がすすむと、「とらわれ」が緩和され、楽になられるのではないかと思います。
